何か言いたいことがあるんだったら、そこらの人を誘って飲みにでも行けばいいわけである
オフィスにはびこるそこらへんの人の中から適当に5~6人声をかけさえすればいいのだ。
よっしゃ、んじゃ行くか、ってことになるのは間違いない。
いくらFacebookがあったところで、それでコミュニケーションが満たされるわけではない。
飲みに行く理由は、列挙するのが滑稽なくらい、それこそ腐るほど転がっているのだ。

  だけども、飲みにいったところで話題といったらごくごく決まったものになる。
会社の仲間だったら、政治経済から会社の行方に始まり
酔いが回ったところで、上司の悪口やら、オフィスのかわいこちゃんやらの話題になる。
へべれけになれば、なんかどーでもよくなったサラリーマンたちは
気分がいいまま家路につき、これにて平和な一日を終えるわけだ。

  まあ、それのどこが悪いかときかれれば、別に悪いところは一つも無いのだが
僕はより一般的な事を、より普遍的な人と共有したいと思うのである。
それがどんなくだらないことや不道徳でタブーなことであっても真理がなんなのか知りたいのだ。
そして真理だと信じるものがあったとしたら、それについて大声で叫びたいのだ。
それが僕がブログを書こうと思った所以である。
願わくば、あらゆるひととあらゆる事を共有しあいたい。
とか言って、数ヵ月後にはピクリとも更新しないブログになったりするのが世の中なのだが。