2013年09月

■ 合コンであったOL
とある合コンであった20台前半のOLとデートのアポをとった。合コンのときは連絡先を聞けなかったが、ほかの参加者を通じLINEのIDをゲットし 、何回かのやりとりでデートにこぎつけた。このパターンは悪くないと思った。なぜなら、友達感覚的な流れではなく男女の関係が意識されるデートになるからだ。

会って食事をしながら話すと少し印象が変わった。どちらかというとおとなしいタイプかと思ったが、わりと主張をするタイプで、飲みに行く予定がガンガンあるような感じだった。ということで、自分の立ち位置が思ったよりも良くないことが判明したわけだ。つまり彼女と飲みに行くというハードルは高くなく、それをクリアーしただけなのだ。

食事では普通に談笑をして、楽しい雰囲気はつくれたものの、恋愛モードにはなかなかもって行くことができない。彼女はサバサバしたタイプで、しっとりとした雰囲気をつくるのが難しかった。とりあえず、景色のいいバーに場所を変えることにした。

バーでは横に座る形をとり、場所がぐっと近くなったのは良かったが、それでも僕の実力不足でサバサバ感の壁を壊すことができなかった。話が途切れて気まずい雰囲気になったりはしないが、ただただ楽しく談笑をする以上に接近することができなかった。おそらく彼女も無意識に防御しているのだろう。場所をカラオケに移動した。

終電を逃して家飲みに持ち込む。できればカラオケでキスまではしておく。その目標をもっていたが、とにかく歌をううたい時間をつぶした。褒めたりからかったりして楽しくは過ごせたが、時間が来たことを理由に彼女は帰るといいだした。こんなふうに意図的に防御されるとリカバリーは難しい。あえなくリリースすることにした。誘うとしても次回までには時間をあけよう。

それにしても、 今回は金を使いすぎた。全部で3万円近くいったはずだ。


■ 合コンで会ったフリーター
前回の反省から、今度は無理して恋愛モードを作らない戦略をとった。あと食事は高くなりすぎないように設計した。彼女は合コンのときから、わりと趣味が合いそうだったのでフェイスブックで友達になり、そこからデートの約束を取り付けた。スタートは悪くないと思った。

食事ではほとんど共通の趣味の話をした。おそらく、そんなふうな話をできる男性はなかなかいないと思うので雰囲気は悪くなかったと思う。ラポールを築く第一歩は自分と似てるなって思わせることにあると考えている。だからこの流れは決して悪くないとおもった。

店を出てから駅へ向かう間に、これからどうすべきか迷った。一旦、このままリリースするか、それとも恋愛モードを作りにいくか。まよったあげく、駅へ歩いているあいだに彼女の手を取った。手をつないだのだ。彼女はびっくりしていたが、手を離すことはしなかった。ただし、彼女の指は僕の手の甲には触れていない。どうする?

駅に近づいたときに「時間あったらもう一件行こうよ。」と誘った。すんなりと彼女はのった。よし。バッドサインはない。店に行くまで手をつなぎ、次の店に入った。店では同じように趣味の話をした。うまいこと終電が終わるまで飲んでいたかったが店が閉まるのが早かった。調査不足だ。あらかじめ、あらゆるパターンを準備しなければならなかったのに僕はそれを怠った。防げるはずのミスを僕は犯してしまったのだ。

ただリカバリーできないほどの深刻なミスでもないはずだ。隣の駅まで歩こうと行って手をつなぎながら駅に向かった。まだ、彼女の指は僕の手の甲に触れていない。時々彼女を見る。もう少し一緒にいたいね。って目で訴えようとするが、彼女とは目が合わない。どうする?

もう少し飲もうよ。と言ったら展開は変わっただろうか。でも、そのとき僕はリリースすることにした。帰りの電車でではメールもメッセージも来ない。翌日になり、「昨日はありがとう。また飲もう。」と送ったが返事は、「ありがとうございました。」だけだった。それは敗北を意味していた。

僕にはシュートを打てるだけの十分なサインがなかった。うまくいくときには、かならずあるサインがなかったのだ。だから僕はリリースした。それは間違ってなかったように思う。間違えがあったとしたら、それはデートの中身そのものだ。それは今の僕の実力そのものなのだ。彼女はきっちり諦めることにした。数ヵ月後に合コンを開催してもらうことにしよう。

僕は「お金が全てではない!」「お金で買えないものもある!」という言葉には100%同意できる。人生にはお金以外にも大切なものはたくさんあるし、それらは大金を払っても得られなかったり、大金をもらっても譲れないものだったりするからだ。幸せとは、単純に経済的豊かさのみで決められるものではないのだ。

だが僕は「お金で幸せは買えない!」という言葉には同意できない。実際に僕はいくつかの幸せをお金で買っているし、もっとお金があればもう少し幸せになれるとも思っている。拝金主義に対するアンチテーゼなのか、お金のことをひたすら嫌悪すれば品位を保てると勘違いしている人もいるようだが、そういう人も実際は幸せをお金で買っているのだ。

僕はたまに焼肉を食べに行って、おいしいな、幸せだな、と思ったりする。これはまさしく幸せをお金で買っているといいっていいだろう。 焼肉を食べに行けるほどのお金を持つことができなかったら、この幸せを享受することができなかっただろうからだ。子供が病気になってしまい、それを治すには海外にいかなくてはならなくて、治療費が1000万円するとしよう。もし、十分なお金があったら子供を治すことができる幸せを得ることができるに違いない。

そもそも、理解しなければならないのは、僕ら日本人の大半は世界の中で極端な金持ちだということだ。教育を受けられ、様々な就業機会があり、安全で暮らしていけるのは、経済的な豊かさがあってのことなのだ。ただ、それに慣れてしまうと、それらがあたかも当たり前のように思えてしまうが、実は当たり前でもなんでもない。世界には教育を受けられない子供がたくさんいれば、焼肉を一生たべられない人だってたくさんいるのだ。

ものすごく裕福な家庭に育ち、あらゆるものを手にした人が「お金で幸せは買えない!」と言っても、あまり説得力はないだろう。僕ら日本人のほとんども実は同じだ。僕らは豊かな国に産まれて豊かでとても幸せだ。それはある程度の幸せをお金で買っているからにほかならないのだ。

どこかの国のミサイルが飛んできて自分の家族のいるところに命中することを想像して欲しい。僕らの恋人や友人の手足がブッ飛んで死ぬところを想像してほしい。戦争とはそういうことが普通に起こりうるし、もっとひどいことだってたくさん起こるだろう。僕はそんな目には絶対会いたくもないし、加害者として加担したくもない。僕は戦争を嫌悪する。殺し合いなんてまっぴらだ。

アメリカのオバマ大統領は8月31日に議会の承認後シリアに軍事介入を実施すると発表した。早ければ9月中旬になるという。 なんだまたアメリカは戦争を起こすんだろうか。僕たちは戦争という悲劇を経験して、そんなものはたくさんだとわかったはずなんじゃないだろうか。暴力で何かを解決しようなんて野蛮な考え方だ。・・といいたいところだが、話はそこまで単純でないこともわかっている。ここにいる僕らにとって平和主義を掲げるのは簡単だ。だが、世の中はそう甘くないのだ。

シリアの反体制派は毒ガス攻撃をうけて子供や女性を含む多くの非戦闘員が死亡した。心臓が弱くない人は下の動画も見て欲しい。このような惨殺を見過ごしていいのかについても僕らはよく考えるべきだ。日本では犯罪を犯すと罰金を取られたり刑務所に監禁されたり場合によって死刑にされる。犯罪の被害者になったら僕らは加害者に対しより重い刑期を裁判所に願いうるだろう。罪は罰せられなければならないんだと。自分が被害者の時は加害者に罪を望むが、遠い海の向こうの話にはそっぽを向けと?そういうわけにもいかない。なぜらならば俺たちはみんな同じ人間だからだ。



アメリカはアサド政権が化学兵器を使ったと断定したそうだ。果たして僕らはなんて言うべきか?正義のために罪を罰するべきだといえばいいのか?戦争はやめろ殺し合いはやめろというべきなのか?イラクの時みたいにミスしたんじゃないかと疑うべきか?それともそんな事を100%いいきるまで見過ごすべきではないと言うべきか?ところで、軍事加入を行えば物事は解決されるのか?国連の決定に従うべきなのか?なぜアメリカがやらなくてはいけないのか?でなければ現実的にどこがそれをできるというのか?

悔しいが僕にはわからない。一つ知っていることがあるとするなら、平和は平和を叫んでいても築くことはできないし、平和の上にあぐらをかいていれば自動的に維持されるものではないということだ。

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