2014年01月

いずれこういう時代が来ます。

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googleメガネ(仮)をしながら街中を歩いていると、センサーがピピっと反応しました。通りがかりの誰かの顔を認識しているようです。そうすると目の前にいきなり文字情報がながれてきます。さながらニコニコ動画が現実化した感じです。

ん?あー、はいはい、彼はフェイスブックの友達の友達なのね。名前は○○で、俺と同じ年なのか。ふーん。勝手に顔認識しながら画像検索して、Facebookで友達の友達だったからアラームがでてたのか。こんな設定してたっけな?

また、しばらく歩いていると、近くのレストランらしき建物が光り出します。まるでアニメの世界です。どうやら、過去のgoogle検索や食べログの検索から、僕が好みそうなレストランをピックアップしたようです。もしかしたら、単なるgoogle広告なのかも。でも、これを消すには基本料金が高くなるからなー。
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こんなふうに色んな人がgoogleメガネ(仮)をしているおかげで、googleマップはほぼほぼリアルタイムで更新されます。勝手に人が歩いて位置情報と映像を提供してくれるんで、googleカーなんて、必要なくなりますね。あと、どんなものを見ているのか、どんなところに行っているのとか、すべて記録されますので、その人がどんな人かは簡単に分析できますね。

あと問題はしゃべった事がかってにテキストにされて保存されます。いつどこで誰とどんなときにどんな話題を何を見ながらしていたかを完全に記録されます。すごいデーター量です。プライバシーもなにもないです。だって、ここまでデータそろったら流石に個人を特定できるでしょうからね。

上にあげたことで技術的に不可能なものってありますかね?実はないんじゃないですか。でも、そこまで行ったらさすがに怖いと思ったあなた。現在だって状況はほとんど同じですよ。

あなたのスマホは位置情報を記録していませんか?あなたが歩きながら検索した情報はgoogleに保存されていませんか?今でもgoogleは検索履歴からあなたをある程度プロファイリングできます。いずれ、絶対にあなたしか知らないプライベートまでも完全に把握されるようになるかもしれませんね。

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さすが、広瀬隆雄氏。昨年言っていたことがマジできちゃいました。

2014年のどこかで、新興国株式のドカ下げが来る……それが僕のいまの相場観です。

そして、その解説もまた目からウロコです。

アルゼンチンは、あくまでも「炭鉱のカナリヤ」であり、最近、グローバル・キャピタル・マーケッツという炭鉱に有毒なガスが充満しはじめ、その関係でイチコロに逝ってしまった、哀れな犠牲者に過ぎないのです。

実はこの暗い穴蔵の中には、巨象(Elephant in the room)が居るのです。その巨象とは、中国のシャドー・バンキングです。

この巨象が、臭いオナラをしたので、回りのみんなが、酸欠状態になっているわけです。

今回のアルゼンチンの危機が、香港上海銀行の出している中国製造業購買担当者指数(速報値)の悪化をきっかけとして起きたことは、だから偶然ではないのです。原因と結果の因果関係を、取り違えないように。

僕は個人投資家として色んなソースから情報を取得しながらトレードしていますが、マーケットハックはもっとも重要なソースの一つです。個人投資家の中には日経新聞だけ読んでれば十分と思っている人がいますが、それは甘いですね。確かに何かが起きた時の事後的な解説とか、救済策の概要とかの説明は役に立つかもしれませんけど、売り買いに直接役立つ情報しては全く不十分だと思います。

初心者の中には今回のドカ下げで思いっきり損している人がたくさんいると思います。今までちゃんと勝ってきたのに今回がたまたま運が悪くてやられた、と思っているとダメですよ。これがあなたの実力です。初心者の人は大抵そういう負け方をします。緩やかな円安株高でちょこちょこ稼ぎながら、何かのきっかけでドカっと損する。みんなそうなんです。そして、勝っているときは実力で、負けたときは運が悪いと言い出すんです。

一番気を付けないといけないのは、こういう相場で何もかも失うことです。なまじ勝っている人ほどこの罠に落ちやすいです。過信なんでしょうね。短期間で何回もナンピンを重ねて、結局行き着くとこまで行ってしまい、はい終わり。全財産を失うだけならいいですけど、借金まで背負ったら最悪です。まず、冷静になりましょう。儲けそこねるかもしれませんが、一旦全てのポジションを閉じるというのも手かもしれません。

結局、値動きがどうなるかなんて神様じゃなきゃわかりません。とにかく色んな情報を見ながら、冷静に判断しましょう。自分の冷静な頭で判断で行うことが重要です。もし、わからないと思ったら損切りするのが無難です。無駄にギャンブルして人生を掛けてはいけません。

(免責: この記事は投資その他の行動を勧誘するものではありませんし、情報提供を目的としたものでもありません。したがって、この記事を参考にした結果損失が発生したとしても、当方ではいかなる責任も負いかねます。)
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先日、野茂英雄氏の野球殿堂入りが発表された。僕は野茂氏の事をとても尊敬している。野球殿堂入りしようがしまいがその気持ちは変わらないが、やはり自分の尊敬している人が賞をもらうことは率直に嬉しいと思う。野茂氏は日米のプロ野球を変えた開拓者なのだ。

野茂氏はドラフト候補の時点ですでに有名人だった。ソウルオリンピックの銀メダル獲得の立役者で、その年のドラフト会議での一番の注目選手だった。12球団どこでもOKといっていたこともあり、当時では史上最多の8球団からドラフト一位指名を受けた。見事抽選をかちとった近鉄(現オリックスバッファローズ)が交渉権を獲得し、野茂氏は近鉄に入団した。

トルネード投法と呼ばれたその独特のフォームは、少年時代の僕たちを熱中させた。だれもが彼の投げ方をまねしようとした。当時ロッテの監督だった金田氏が「野茂なんて大したことない、速球とフォークだけだ」と言ったとされているが、伝説の400勝投手に僻まれるばかりか、速球とフォークは認めざるを得ないということからして、逆に彼の凄さを示す賞賛として僕らに受け止められたのだった。

近鉄当時の野茂選手は球界を代表する投手であったことは間違いなかったが、成績がほかの選手より圧倒的に優れていたかというとそうではなかった。だから彼が近鉄をやめ、メジャーリーグに行くと決めた時は無茶だと思った。当時、日本人でメジャーリーグで活躍できた例はただの一度もなかったのだ。全ての成績において球界でダントツトップの選手でさえ、メジャーリーグでの活躍は無理だと思っていた。

球団との確執があったとされているが、僕は彼はおとなしく近鉄で居るべきだと思った。結局、あらゆる反対意見を押し切って近鉄をやめたときは、とても残念に思った。年俸1億4000万円だったのが1千万円弱になったそうだ。メジャーリーグで成功できずに、いずれ彼の名前は忘れ去られることになるだろう。そのときの僕はそう思った。僕だけでなく多くの人がそう思っていた。日本人がメジャーリーグで活躍なんてできるわけないのだ。

今振り返ると、前例がないというだけで失敗すると予想した自分が恥ずかしい。彼は一年目から大活躍した。引退までにノーヒットノーランを2度も達成した。彼はメジャーリーグでも超一流の投手だったのだ。それを皮切りに日本でもメジャーリーグが放映されるようになった。ほかの日本人選手もメジャーを目指すことができるようになったのは、彼の成功を目の当たりにしたことと、メジャーリーグ球団も日本に対してマーケットを拡大できると判断できるようになったからだろう。野茂選手は本当の開拓者だったのだ。

今でこそメジャーを目指す日本人選手は少なくない。でも、今まで前例もなく、年俸も極端に下がり、周りからの反対が強かったとしたら、彼らには同じような判断をすることができただろうか。僕を含めた安直な人々の雑音に惑わされず、自分の実力を自ら証明した野茂氏は本当にかっこいいと思う。僕は野茂氏を本当に尊敬しているのだ。
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平等というのは難しい概念だ。考え方は美しい。けど実現させることはとても難しい。人はみな差別をしまくって生きている。男女差別、人種差別、宗教差別、国籍差別、見た目差別、学歴差別、血液型差別・・数えだしたらキリがない。人が平等を叫び、差別を訴えるのは、決まって自分が虐げらていると感じる時だ。自分の立場がいい時は平等なんて考えもしない。

平等はそもそもかなり新しい正義のあり方だ。人類の歴史から見れば、”最近はやりの概念”くらいのものかもしれない。ほんの数百年前には西洋諸国は黒人を奴隷として売買していて、船で輸送しているときに荷物(!)が重すぎたら途中の海に捨てたりもしたらしい。もちろんワシントンだってベンジャミンフランクリンだって黒人奴隷を所有していた。人類の歴史から見ればごく最近の話だ。

日本だって、つい20年くらい前までは女性の新入社員には平気でお茶くみとかを頼んでいた。いまだって、そこまで露骨ではないが、昇進で差別されるなんて普通にあることだ。インドなんかでは、いまだカースト制をひきづっていて、それが当たり前とされている。彼らに平等を訴えたところで変えられることなんてほんの少しだってあるだろうか。

人間はみな平等であるべきかもしれないが、現実には全く平等なんかではない。美人に生まれる人もいれば、裕福な家庭に生まれる人もいる。そういう人は得をするだろうし、そうでない人は損していることだろう。僕は日本に生まれてきたことはホントにラッキーだと思っている。それはある意味でとても不平等だ。生まれた国で、こんなに環境が違うなんて恐ろしいことだ。

誤解のしないように言っておくと、僕は平等は正義であると信じている。けど、どの時代にも、どの地域にも通じるような普遍的な正義でないことは世界や歴史を見れば明らかだ。また、世界が平等ではないがゆえに、特している部分っていうのは、誰だって山ほどあるはずだ(日本人ということだけでそうだ)。なにに対してもそうだが、口だけで美しいこと語るのはとても簡単だ。平等を訴えたくなったときには、もう少し平等について考えてみよう。
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1月16日、元陸軍少尉の小野田寛郎さんが亡くなった。彼は第二次世界大戦中、フィリピンのルバング島に派遣された。日本はまもなく敗戦したが、彼の属するチームはそれを認識せず、命令解除もなかったため、途中で仲間を失いながらも、29年間フィリピンのジャングルで戦闘を続けながら生活を行っていたそうだ。1974年に日本に帰国し、ブラジル移住などを経て、最後は日本で自然塾を経営しながら暮らしていたそうだ。

僕は小野田さんが帰国する1974年以降に生まれたが、彼の事は有名なので知っていた。戦争が終わったことも知らず30年間もジャングルに潜伏していた哀れな日本兵というイメージだった。あまり情報収集能力がないがために、敵に怯えながらジャングルの中を生きることを強いられた人だと思っていた。だが、以下の記事を読んでそれが間違いであったことがわかった。
よく考えてみればわかることだが、敵に捕まえられずに29年間も作戦を継続できた事からして、軍人として相当に優秀であったのは間違いない。正式に日本からの命令解除が下るまで、日本は敗戦したという敵の情報は謀略だと信じなかったそうだ。どう判断したら彼にとってベストだったのかは分からないが、少なくとも軍人としては適切な判断で、それを続けるというのには相当な意志の強さがないとできないことだったと思う。

敗戦後、日本は飛躍的な経済成長を遂げた。そうして多くの日本人が平和と豊かさを享受している間にも、このように日本のために戦い続けてくれた人がいたのかと思うと感慨深い。当時の日本政府は全力を上げて彼に作戦解除命令を出すことができなかったのだろうか。

以下は、僕は上のインタビュー記事の中で興味深かったコメントだ。彼らは作戦を進める上でチームの能力や人間性をちゃんと認識していた。また、それに基づいて適切なリスク管理を意識しながら作戦を遂行させていたのだ。 あれから長い年月がたったが、緊張感のない仕事の中で生活をする僕らには彼らから学ぶべきことが数多くあるのかもしれない。
「体力的にも、僕と小塚とほかの2人には差があった。赤津には投降しようという気持ちがあるのが見えている。作戦継続している限り、それは逃亡です。でも、二手に分かれる時は赤津は島田と組ませていた。島田も、もし赤津が逃げてしまったら自分が一番下になるわけです。何だかんだ言っても人間というのは下に人がいてほしいものなんです。それがある意味足かせになっているんです」

「たいていのことは見逃しながら、4人での行動を維持していたわけです。ただし、赤津らが投降した場合は、行動ルートが敵に漏れるわけです。私と小塚はそれも想定して自分たちだけの『場所』も用意していました」

以下は、小野田さんに関するエピソード(Wikipediaより)。
  • 終戦後も29年間フィリピン・ルバング島に潜伏する
  • その間の戦闘で30人以上の兵士、警察、民間人を殺傷する
  • 1947年と1959年に2度死亡通知がだされる 
  • 帰国後の記者会見では 「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」とコメントする
  • 帰国後にもらった見舞金・義援金の全てを靖国神社に寄付する 
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