2014年03月

僕の友達の女の子にキャリア官僚の娘がいる。彼女はいたって普通のOLで、普段は、自分の親が何をやっているのかをわざわざ友人に話したりしない。僕が彼女の父親が官僚だって知ったのは、会ってからしばらく経ってからのことで、たまたま二人で飲み行った時にふと漏らしたときに聞いたのだった。

その父親は、どちらかというと気弱な仕事人間だったそうだが、彼女は自分の父親のことをとても尊敬していた。父親も自分の娘として、自分のことを深く愛してくれている事を、彼女は感じていたのだという。あるとき仕事のきっかけで、父親の好きな歌手のコンサートチケットをもらったとき、彼女は父親に一緒に行こうとメールした。とても喜んでくれると思ったら、そのメールに対する返信は意外なものだった。

彼女の父親は今までにないほどの長文メールで、彼女に自分はどのような職業でどのような立場であることを説明した。そして、彼女の申し出はとても嬉しいが、自分は官僚であり、それは受けること法に抵触する恐れがあるので、受けることはできないと伝えた。父親はそのことを侘びながらも、毅然としてその申し出を断ったのだ。

彼女は、その返信にとても感動した。そして、よりいっそう自分の父親を尊敬した。彼女は愛する娘の申し出を断らなくてはならない胸中をさっしたのだった。

民主党に政権がかわったときに、官僚の天下りを全面的に禁止しようとする動きになった。その影響は彼女の父親にも影響した。彼女の父親は転職先をほぼ決めていた(官僚の風習で同期が事務次官候補になったら、退職しなければならない。)。それは官僚時代よりもずっと給料はさがるようなところだったという。エリートにもかかわらず拘束時間のながく同級生よりも薄給な国家公務員に比べてもなお給料が下がる予定だったそうだ。

しかしながら、ちょっとした政治家の気まぐれで父親の転職が危うくなったそうだ。彼女は憤怒した。あれほど、国のために働いた人間をこんなふうに扱うとはどういうことなんだろうと。決して、利権を利用しようとか、そういうわけではない、一生懸命働いた人が次の職場を探そうとしているのを、なぜ邪魔しようとするのだと。だから、彼女は民主党を憎んだ。

僕はそれを聞いて恥ずかしくなった。実は僕も偏見を持っていたし、新聞に書いてあることはふつうに一般的な真実だとおもっていた。でも、その裏には一つ一つの人生があり、ドラマがあったのだ。僕は彼女の父親がハッピーであることを祈っている。そして先入観のみで物事を批判的な目で見るのはやめようと思う。なかなか難しいことではあるが。

最近、Facebookを使わなくなってきた。ちょと前までは暇あえあればチェックしていたけど、今はあまり気にならない。おそらく、僕の友人の何人かがあまりアップしなくなったからだろう。なぜ、こんなにもFacebookをしなくなったのだろう。

単純に考えると、たぶん、多くの人が飽きたんだと思う。よく考えてみれば、ほとんど会いもしない「友達」がランチに何をたべたなんてほとんど関心がない。自分の投稿に反応がなくなれば、投稿しなくなるのは必然だ。そして、投稿する人がすくなくなれば、見に行く人も当然すくなるなる。

Facebookにはそれなりのシステム投資がされているはずだ。それを無料で利用できるのは広告があるからだ。いってみればテレビと同じ原理だ。人が集まれば、広告の価値が高まる。しかもFacebookのように個人の情報が満載となれば、革新的な広告も可能になってくるわけだ。SNSはビジネスにとって重要になったのはそのためだ。

でも、もし人が利用する時間がすくなるなると広告の効果は一気に落ちる。そして広告が撤退すれば売り上げが下がる。もしかすると、ほんのごく近い将来にFacebookはとても小さな会社に逆戻りするのかもしれない。昔多数派だったmixiが使われなくなったのとちょうど同じように。

そしたら次の時代はなんだろうか。Lineみたいなシンプルなコミュニケーションになるのか。それとも想像もつかないようなハイテクなものになるのか。はたまた、「手紙」や「電話」みたいなアナログなコミュニケーションが復活するのだろうか。次の時代が楽しみだ。

これだけ短期間に評価が乱高下する人も珍しいと思う。理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダのことだ。万能細胞STAPがイギリスの科学誌「ネイチャー」に掲載されて、マスコミでも大々的に報道された。研究の斬新さに加え、割烹着で研究する"リケジョ"キャラもうけて一躍話題の人となった。

ところが、 その論文に使わている画像に対して対していくつかの疑念が生じた。現在のところ、単なるミスであり研究成果には影響しない、という主張だそうだが、一部では論文を一旦取り下げて再調査すべきだとの声も出ている。さらに論文には明らかに無断引用されている部分があり、彼女の過去の論文においてもそのような無断引用と思わしき部分みつかったことが話題になっている。

現状を整理すると、こんな感じだろう。

まあさあ、気になるかもしれないけど、一旦このことは忘れてそっとしてあげようよ。単なるミスかもしれないし、ちょっとズルしたんだったら、ちゃんと謝ったところで許してあげようよ。研究成果に影響してなかったら、大発見に変わりはないから、それはそれで褒められることだし、もし致命的に影響することだったら、まあ残念だけどまた頑張ってね、って感じで良くないかな?

今の報道をみていると、なんか成功者の揚げ足をとって、転落するのを楽しみに見ようとする人間の嫌な部分が垣間見れて気分が悪くなる。もちろん、報道されている疑念が正しかったとしたら、たしかによろしくないし、ある程度咎められても仕方ないかもしれない。でもさあ、大学行った人はレポートするときコピペしたことあるでしょ?代返とかカンニングとか、ちょっとしたチョロまかしとかあるでしょ?僕はあるよ。

僕の勝手な予想だと、彼女は研究熱心で頭はいいけど、ちょっとだけちゃっかりもので、そのくせ脇の甘いところがある、かわいいキャラなんだと思う。みんな彼女が自分の大親友だったと想像して、このニュースに接して欲しい。この騒ぎにかなり嫌気がさすと思う。僕は別に友達でもなんでもないけど、マスコミが執拗に追いかけているのをみると、とても嫌な気分になるのだ。

ネットで話題になっていた「ご近所のママ友さんに仲間はずれにされています。嫌われてしまったようなのですが、関係修復したいです。」というYahoo!知恵袋の相談があったので読んでみました。読んだことないな、と思ったら是非一読してみてください。回答とその衝撃的な結末がなかなか面白いです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10106221460

これ以外にも、相談者宛に来た質問に対して、つぎつぎと答えています。これらもとても面白いので、是非読んでみてください。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11106452426
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11106451696
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14106458989
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14106465804

僕がこれで面白いと思ったことは、相談者の主張は世間一般のコミュニティーでは認めがたいとされていることであるものの、主張としてはきっちり筋が通っていているということです。 一読すると相談者のモラルが疑われるような内容ですが、感情的になっているのは常にそれを批判する側で、相談者はそれに対して淡々と論破してくところが痛快です。

僕は、前にも言ったとおり普遍的な正義というものは存在しえないと思っています。人それぞれ自分の考える正義はあるでしょう。僕にもあります。そして、その多くの事は共有できると信じています。しかしながら、それは同意できるかどうかの違いだけであって、根本的に正しい正しくないは議論することができません。

相談者は金持ちで貧乏人が嫌いだといいます。僕は同じタイプではありませんが、彼女の考え方を批判するつもりはありません。へー、そうなんだなー、ふーん、って感じです。それに対して、道徳の授業で習った事と違うからあなたは間違えている、てな感じの世間知らず的な批判は、大抵議論のワキがあまくこっちが恥ずかしくなってしまいます

自分が正しいと思っていることが常に正しいというわけではありません。どんなに気に入らない主張であっても、自分の意見を押し付けようとするほうが、かえって痛い感じになっちゃいます。この相談は、Yahoo!知恵袋などにおける上から目線回答に一般的有効性なんてあにはないのだという、ある種のアンチテーゼとして、とても勉強になりました。

僕はこの前ある女のこと付き合っていた。付き合っていたといっても彼氏・彼女と呼び合う公式的なものというよりは、たまに会って飲みに行ったりエッチしたりする仲だった。セックスフレンドと呼びたくはなかった。状況的にはお互い遊びの軽い付き合いと思われても仕方ないが、それなりに好きだったのも確かだ。

客観的に評価するとステータスは下のような感じになるかもしれない。でも、僕はそういった評価軸の向こう側にこそ彼女の魅力があったんだと思っている。彼女を失ってとても悲しい。

Sample 
二人で飲みに行った場所に一人で行ってみた。つい最近、目の前にいた彼女は今日はいない。僕はだれもいない空間を眺めながら彼女のことを想った。別れるのはとても辛い。今となってはもう遅いけど、僕はもっと彼女を大切にすべきだったのだ。

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