2014年07月

やっぱりコメントの設定を許可制にしました。今までは、普通にコメントを表示できるような設定にしてましたが、いくらなんでもスパムコメントが増えすぎました。

最近、アクセス数が激減しているので、アクセス数よりもスパムコメントの方が多いくらいです。とくにgoogleは検索履歴から年齢と性別を推定できるという記事ネットもSNSもビッグデータもまだまだこれからですよという記事にやたらにスパムコメントをうけてます。

これらの記事が好まれる理由はわからないけど、たぶんプログラムを使って自動的にコメントを作成するようにしているのだと思うんですね。なぜなら、アクセスログには存在しないIPアドレスからコメントをうけているからです。

前にも言ったとおり、できればコメントの表示を制限したくはないです。でも、物事には限度ってものがあるので、そのへんはご理解ください。時期に対する賛同・共感のコメントはウェルカムですし、批判コメントも是非お願いします。記事に関係のある、大人の内容に限りますが。

僕のブログではコメントを受け入れる設定にしています。スタンスとしては、僕の記事に関する議論は自由にやっていただいて結構です、ということでした。もちろん、個人情報をつけて特定の誰かを批判するようなことがあったりすれば、管理人の責任として削除するつもりでしたが、結果として基本的にコメントは消したことはありませんでした。

一読しても関係ないことであって、そこから議論が広がる可能性もあるわけで、あえて削除するような積極的な理由がなかったし、わざわざ削除するのもめんどくさかったというのも事実です。また、批判コメントを削除する人、というような疑いをもたれたくなかったというのもあります。

ですが、 今後からほとんど記事に関係ないと思われることはことごとく削除させていただくことにしました。理由は簡単です。Googleペナルティを受けてしまったからです。

詳しくはのちほど記事にしますが、ある日を境にこのブログのアクセス数がガッツリ減りました。調べてみると、僕の記事がgoogleでヒットしなくなったのです。理由はまだ正確にはわかりません。でも、僕が調べてみて可能性が高いと思ったのは、スパムコメントを削除しなかったことによるペナルティです。

やはり、google検索でペナルティをうけると、ブログとしては致命的です。僕もなるべく多くの人に読んでもられるには、googleのルールには従わなくてはいけません。それに、スパムコメントを放置するというのは、確かに管理者として管理義務を怠った不作為ともいえます。

だれかが、リンクをたどってウィルスに感染したり、あらぬ詐欺にひっかかり個人情報等をぬきとられたりしたら、仮に法的な責任がなかったとしても、とても嫌な気分になります。 ですので、疑わしきは削除、という積極的なスタンスに変えることにしました。

もちろん、批判的なコメントはゼンゼン受け付けます。あまり記事と関係が薄い、あるいは意味がよく読み取れないコメントは削除させていただくようにします。あまりに多い場合はコメントをうけつけないように設定するかもしれません。

まあ、この記事もgoogleにヒットしないので、あまり読まれないと思いますが。ちなみに僕自体は自分の記事にはコメントしません。コメントに対する返答は記事によってする可能性はありますが。 

以前、好きな女の子が既読スルーするようになってしまった事について記事を書いた。残念ながら、返信はなくこれにてほぼほぼ終了になってしまった。まとめると以下のような感じだ。
  1. パーティーで合う:いちおう色々と会話も出来たし、LINEの交換もできた。
  2. デートに誘う:食事に誘うが最初はニュートラル以下の反応。しかし、途中からOKになる。
  3. デートをする:とにかく楽しく話した。デート直後のメッセージも悪くない。
  4. 2回目のデートに誘う:既読スルー
  5. 再度メッセージ:既読スルー ←いまここ。
 
最初の1の段階でほとんど無理だったのかもしれない。結局のところ初対面の段階でしっかりとストライクゾーンに入っていないと、その後の挽回は難しい。しかし、この子は特に僕の好きなタイプだったからそれでも頑張った。2のデートに誘ってOKをもらえた要因は、しつこくしなかった事と途中でデート以外のトークをかませたことだったと思う。

3のデートは悪くないものだったように思った。今回の作戦は初回のデートはとにかく楽しくデートすることに接するというものだったのだが、もっとそこで好意を感じるような攻めが必要だったのかもしれない。とにかく確率の低い難しい相手だった。

4の段階では、問題なく次のデートがあるものだと踏んでいたために、既読スルーされるのは精神的に辛かった。理由は未だによくわからない。おそらく、最初から異性としてはストライクゾーンに入っていなかったため、2回目のデートには足が向かなかったのだろう。

5の段階では、メッセージに簡単な好意をつけておいた。「乗り気じゃないみたいだね。君のことが素敵だと思っていたからまた会いたかった。気が向いたらまた飲もう。」という趣旨だ。クリスマスになったら、メリクリメールで復活をかけよう。これで最後だ。

自分の進め方として良かった点は、相手の返事がないからといってメッセージを繰り返し出したりしなかったことだ。好意が強ければ強いほど、これを冷静にすることが難しくなる。絶対にうまくいく方法なんて存在しないけど、絶対にうまくいかない方法は存在する。それは、しつこくすることだ。既読スルーには最低でも1週間以上の時間をあけること。これが復活のための必要条件だ。これを守らなければほぼ確実に失敗する。

悪かった点は、1回目のデートは楽しくすることに徹するという戦略そのものだったと思う。パーティーで会った時に好意のサインが全くなかったのだから、また次も会いたいと強く思わせるように、彼女の印象をかえないといけなかった。そのための戦略なしに、ただ楽しく話をしていたということがうまくなかった。現状を好転するのに適切な戦略ではなかったのだ。次回にはもうすこし現状を分析して、適切な戦略を立てていこうと思う。いくらしっかりと遂行できても、適切な戦略でなければ、それに意味がないどころか、逆効果になってしまうことだってあるのだ。

特に大企業のサラリーマンの方ならよくわかると思いますが、けっこうな人が思いつきで、どうでもいい仕事を増やしたりします。それに一生懸命応えるために、いろんな人を巻き込んで、いらない会議やら作業やらが増えます。そういったどうでもいい仕事というのは、僕の肌感覚から言っても相当程度あって、それは仕事の生産性を著しく下げています。

とかく 問題なのは、エライ人からの思いつきの発言で、それをそのまま部下に丸投げするという構図です。そして、まじめな人ほど、それに応えようと一生懸命時間を使うことです。もちろん、そのエライ人にとっても、それを実現しようとする人にとっても、それらは善意による行為です。良かれと思ってやってます。その良かれと思っていることが、会社の生産性を下げているというのがなんとも皮肉なところです。

かつてカエサルはこういってます。地獄への道は善意で舗装されている、と。みんなで一生懸命アイデアをだし、時間をかけて実現させた結果、生産性が下がり会社の業績が悪くなるわけですから、まさに地獄への道をせっせと舗装しているわけです。それも真面目に発言して、真面目にそれを実現しようとしている人たちがです。

僕に言わせると、必要もない仕事をつくったり、それに時間をかけたりすることは、いかにそれが善意によるものであったとしても、それは悪です。ヒマだから何かしようとして、人と時間とカネを使うくらいだったら、なにもしないほうがマシです。何もしないのは給料泥棒ですから、それはそれで悪ですが、生産性を悪化させるよりはずっとマシなんです。

ですので、上司からの仕事の依頼があきらかに意味がない場合、可能であれば、「それはやらないほうがいいと思います。なぜなら~からです。」とちゃんと説明して、それをやめさせましょう。かと言って、ゼロ回答でプッシュバックするのは、なかなか難しいことです。 そこでセカンドベストの策として、誰も巻き込まずやっつけ仕事でぱっぱと終わらせましょう。誰からも褒められないかもしれませんが、実は会社にかなりの貢献をしています。

ある程度組織が大きくなると、官僚機構になり、必然的に余計な仕事が増えていきます。そして、生産性が悪化します。生産性悪化を食い止めるということは、生産性改善させてるのと同じです。よく、”生産性改善プロジェクト”とかやったりしますが、”日常業務で非生産性な仕事を増やさない”ことの方がよっぽど重要なのです。

ところで、なぜこのように生産性を悪化せてしまうような事がおきるのかというと、それは学校教育に問題があるのかもしれません。学校教育ではなんでも全力投球することが賞賛されます。マジメ君がほめられます。そして、マジメ君ほど勉強を頑張って大企業に入ります。

学校では確かになんでも全力投球してもかまいません。ただ、会社は違います。会社ではある程度の生産性を確保しながら利益を生まなくてはならないからです。生産性が悪くなれば、給料がさがるかもしれませんし、あるいはリストラをして従業員をクビにしなければならないかもしれません。場合によっては倒産してみんな路頭に迷ってしまうことになるかもしれません。みんなの幸せのためには、最低限の利益を確保し続けることが重要なのです。

だから、真面目に取り組んだからといって、その結果生産性を下げたとしたら、その人は糾弾されるべきです。会社と学校は違うんです。マジメに先生の言う事をきいてきたエリートほどそういう行動に陥る危険が伴います。サラリーマンたるもの、やっつけ仕事はパパッと終わらせるべきなんです。そして、帰りに一杯やりながら、上司と会社のグチをいう事にこそ時間をかけるべきなんです。

佐村河内氏、小保方氏、セクハラ議員、号泣議員。。

次々と世間を賑わす人々があらわれ、マスコミが叩き、世間が叩き、ネットが面白おかしく茶化しだす。 皆に気付いて欲しい。イジメとはこうやっておこるのだ。日本中が、ここぞとばかりに彼らをイジメている。イジメ問題について真剣に語る人は、今、日本中で起こっている、このイジメ問題に対してこそ憤慨しなくてはならない。いっしょになって叩いたり、茶化しているのを笑っているのは、言ってみれば、いじめを放置したり助長したりしている人と全く同じなのだ。

マスコミに叩かれている一人一人にはそれなりに責められるべき点も確かにある。だからと言ってこうまでいじっていいのかどうか僕にはわからない。イジメとは、あいつはいじめてもいいやつだ、という周りの人々の空気の醸成によって始まる。そして、それがどんどんエスカレートしていく。被害者が自殺したりしてニュースになるようなイジメには、こうした背景があるのだ。

たとえ本人に非があったとしても、叩くのには限度ってものがある。誰かが、もうやめなよ、と言って止めなければ、みんなよってたかって笑いながら彼らをいじめることになるだろう。 さて、自分はイジメをするような人間でないと思っている人、あるいは自分ならイジメを止められるであろうと思っている人、はこの状況に何ていうのだろう。

一旦、こうのような状況になってしまったら、止めることは難しいのだ。空気を読むことを強いられてる社会において、イジメをやめさせるというのはとても難しいことなのだ。普段、きれい事ばかり言って、空気を言い訳にしながら周囲に流されている人は、このことについてよく考えて欲しいものだ。

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