元首相の細川護煕氏は14日、同じく元首相の小泉純一郎氏で会談した。その後、細川氏は都知事選への出馬を表明し、小泉氏はその支援を約束したそうだ。二人は脱原発で意見が一致し、それを争点として選挙を戦って行くという。
で?なんで原発問題が争点になるの?
僕自身が原発推進派か反対派かはここではあえて触れない。また、細川氏が総理を辞任した理由が猪瀬さんと同じような金銭問題だったということも一旦忘れることにしよう。ここでは原発問題を都知事選で争点とすべきかどうかについて議論したい。・・ていうかダメでしょ。
原発問題はとても重要な問題であることは認める。でも都知事になったところで出来ることはほとんどない。都民の代表としてやるべき政策を示して、それに賛同するかで選挙は行われるべきであって、自分の権限の及ばない”意見”を争点として選挙するというのは全くもって意味がないのである。むしろ、知事としての権限が及ぶ他の問題がなおざりになることが問題になるといえよう。
細川さんや小泉さんがやりたい事はわかる。選挙運動をしながら反原発のムーブメントを起こし、細川さんを当選させることによって「ほら、国民(ほんとは都民だけど)は原発を望んでないでしょ。これはゼロにしていかないと~。」という圧力をかけることだろう。でも、これはさっき述べたように手段としては明らかに間違っている。
仮にそれが正しい政策であったとしても、手続きを無視した進め方はすべきでないと僕は思う。いかに重要な問題であってもルールに基づいて議論すべきである。原発問題は都民の意向だけで決めるべき問題ではない。ちゃんと決められた民主プロセスに基づいて議論されるべきなのだ。原発問題を議論したいなら新党を作って国政選挙にでればいいのである。人気があるからといって、無関係なところへ影響力を及ぼしだしたら、一体どのようにして物事の議論をしていいのかわからなくなってしまう。
今回の選挙で注目したいのは、ちゃんと原発問題を争点としないかどうかだ。問われているのは都民の民度である。有権者には、たとえ原発反対派として小泉さんや細川さんと意見が同じであっても、「いやいや、俺も原発反対だけどさあ、ここはそれを議論する場じゃないでしょ。」って言える良識を持って欲しい。手続きを無視した進め方で何かを得たとしても、一旦それを認めてしまったら、今度は手続きを無視した進め方で重要な何かを失うことになるだろう。
で?なんで原発問題が争点になるの?
僕自身が原発推進派か反対派かはここではあえて触れない。また、細川氏が総理を辞任した理由が猪瀬さんと同じような金銭問題だったということも一旦忘れることにしよう。ここでは原発問題を都知事選で争点とすべきかどうかについて議論したい。・・ていうかダメでしょ。
原発問題はとても重要な問題であることは認める。でも都知事になったところで出来ることはほとんどない。都民の代表としてやるべき政策を示して、それに賛同するかで選挙は行われるべきであって、自分の権限の及ばない”意見”を争点として選挙するというのは全くもって意味がないのである。むしろ、知事としての権限が及ぶ他の問題がなおざりになることが問題になるといえよう。
細川さんや小泉さんがやりたい事はわかる。選挙運動をしながら反原発のムーブメントを起こし、細川さんを当選させることによって「ほら、国民(ほんとは都民だけど)は原発を望んでないでしょ。これはゼロにしていかないと~。」という圧力をかけることだろう。でも、これはさっき述べたように手段としては明らかに間違っている。
仮にそれが正しい政策であったとしても、手続きを無視した進め方はすべきでないと僕は思う。いかに重要な問題であってもルールに基づいて議論すべきである。原発問題は都民の意向だけで決めるべき問題ではない。ちゃんと決められた民主プロセスに基づいて議論されるべきなのだ。原発問題を議論したいなら新党を作って国政選挙にでればいいのである。人気があるからといって、無関係なところへ影響力を及ぼしだしたら、一体どのようにして物事の議論をしていいのかわからなくなってしまう。
今回の選挙で注目したいのは、ちゃんと原発問題を争点としないかどうかだ。問われているのは都民の民度である。有権者には、たとえ原発反対派として小泉さんや細川さんと意見が同じであっても、「いやいや、俺も原発反対だけどさあ、ここはそれを議論する場じゃないでしょ。」って言える良識を持って欲しい。手続きを無視した進め方で何かを得たとしても、一旦それを認めてしまったら、今度は手続きを無視した進め方で重要な何かを失うことになるだろう。
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