表現の自由はとても大事だ。だから、それを尊重しなければならない。でも、例外なしにそれを認めるかといえば、もちろんそうではない。

たとえば、僕が元カノの写真と性癖と個人情報をここに載せたらどうだろう。僕がいかに表現の自由を主張したところで、それが認められることはないだろう。なぜなら、表現の自由に勝る重要な事も存在しうるからで、この場合は僕の元カノの人権がそれに当たるだろう。いかなるものであっても、それがとても大切なことだからといって、例外なく認めるべきとは限らないのだ。 

僕は暴力を嫌悪するし反対するが、いついかなるときも行使しないとは約束しない。自分や自分の大切な人が今まさに拉致られたり殺されたりするような危害を加えられそういなった時に、僕はそれを話し合いで解決しようとするバカではない。 僕は平和を大切だとおもっているが暴力は絶対にしないとすべきでないというには、そういった意味で矛盾しない。物事には順番があるのだ。守りたいものがあっても、それよりも守りたい何かがあれば、それを迷わず捨てる勇気が必要なのだ。

最近、皇室に対するふとどきな発言がちらほら問題になった。あえて、具体的には取り上げない。さて、これらの表現の自由は認めるべきか。それとも、これらの事は表現の自由よりも優先すべきなにかなのか。個人的な見解を示したい。この場合は表現の自由を尊重すべきだ。彼らがいかに勉強不足だろうが、アホだろうが、何かを批判したり自分の考えを述べる事に対する自由がある。でも、これも言っておきたい。僕にもそれに対して反論する自由がある。

僕らが運良く日本という国に生まれたからには、日本の法律を守り文化を継承していく義務がある。歴史を学び、よきものを誇れる事を継承しながら、批判される事も継承していかなくてはならない。もちろん、誰もが望んで責任を負いたくないだろう。でも、僕らが世界で日本人として誇れるのと同様に、ある程度の責任は自分の義務として負わなくてはならないのだ。

僕らはもっともっと歴史をしらなければならない。天皇とはなにか、戦争はなぜおきたのか。それらに対して自分はどういった責任があるのか。不勉強なままでも表現する自由はあるが、それに対しては真っ向から批判させて頂く。お前ら、もっと勉強しろよ、ばーか。僕にもその自由があるはずだ。