みんなの党の渡辺喜美代表は7日午後、化粧品会社会長からの8億円借り入れ問題を巡る責任をとり、代表を辞任した。8億円を選挙とは関係なしに個人的に借りたなんて普通だれも信じないし、仮に政治資金規制法に違反していなかったとしても、そのようなことが公開されなかったこと自体問題だろう。彼が党代表を辞任せざるを得なかったのは当然だったのかもしれない。

国会議員は一人一票の選挙で選ばれた国民の代表である。いくら税金を払っていようが、犯罪歴があろうが、頭がよかろうが悪かろうが、年寄りだろうが若かろうが、一人一票である。そのような手続きによって選ばれた国民の代表が集まり、立法府として議論し、法律、つまりは人間の自由を制限する国家権力の手段が決定されていくわけである。そこには、金銭による利益誘導などは決してあってはならない。そして選挙に関わる資金は厳しく管理し、国民に正しく公開しなければならないのだ。

まあ、理想論を言えばそういう感じだろう。もっというならば、日々その理想に近づきつつあるし、他の国の腐敗具合でいえば、日本はかなり優秀なところに位置づけられるのかもしれない。僕も、そういった理想に近づくことはいいことだと思うし、今のような状態まで達することができたのはとてもいいことだと思っている。これからも、そういう透明でクリーンな政治になることを率直に望んでいる。

しかしながら、目の前の現実と照らし合わせてみるともうひとつの側面を無視するわけにはいかない。現実論である。たとえば、悪い政治家が金で票を集めてたとする。おおっぴらでない用意周到な方法によってだ。このままでは、重要な権力が彼に乗っ取られてしまう。そんなときに現実的に正当な手段では勝つ可能性が極めて低いと判断した場合、それでも正当な手段を選ぶのは果たして妥当なのだろうか。国会という権力闘争をしているなかで、現実論を無視しただけの理想論を訴えることは、はたして正しい手段なのだろうか。

だからと言って、僕は何も不正を奨励しているわけではない。でも僕が感じることは、授業をサボったこともなく、先生や親から怒られたことのない優等生が、かならずしも政治家としてふさわしいとは思わない、ということに近い。正しい方向に導くためには、たまには正しくない方法論を使うことには目をつぶりたい時もあるのだ。理想だけを見ていると何も達成できない。理想と現実の差をただしく見て、そのギャップを埋めるために適切な手段をとれる人こそが政治に向いているのではないかと思う。
結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。 「政略論:マキアヴェッリ」