「20年間 親の介護してるけど何か質問ある?」というというまとめ記事を読んだ。とてもいろんな意味でとても興味深い。僕らは毎日のように交通事故が起きていること知っている。このような事が実際に起こっていることももしかすると想像できるかも知れない。でも、当事者から語られる言葉(これを信じるとするならば、であるが)を目の当たりにすると、なにかとんでもない勘違いをしていた自分に気づく。

僕らも毎日自分の人生と向き合いながら生きている。仕事をしたり、友達とバカ話をしたり、女の子とデートに行ったりしている。だから、いろんなニュースの一つ一つに、そこには血の通った当事者がいて、それと一生向き合わなければいけない人々が居るということを忘れがちになる。そして忘れていることさえも忘れてしまう。

震災におこったときのビートたけしの言葉を思い出した。一部を以下に引用したい。
この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

スレを立ち上げた人は、悲劇的な事故に直面し20年も向き合っているのだが、妙に達観しているのも興味深い。2CHだけに挑発する人たちは当然いたが、それに対しても淡々と対応している。本人は中卒だと言っているが、語彙の多さとか、説明が理路整然としているところから、それが事実かどうかが疑わしいと思ってしまうほどだ。

こういうやりとりや、Yahoo知恵袋とかでは、面白がって挑発したり、感情論だけで罵る人たちがでてくる。いかなる議論であっても、感情的になったら、それはもう終わりだ。だが、そういう罵りあいとかにならずに、淡々と議論するところが、興味深かった。前にもいったかもしれないけど、僕は議論をするうえで道徳概念を無理やり持ち込む人を尊敬しない。そういう意味でも、スレをたてた人の姿勢は尊敬に値する人だった。

もし、彼が実在する人であったとしたら、彼は幸せであってほしいと思う。(ちなみに彼の実在を疑わしく思うことに非難する人もいるかもしれないが、それは批判にあたらない。なぜなら、ネットとは現実的にそういう世界であるからだし、スレをたちあげた人も、疑われることを十分に承知していると思われるからだ。)