先日、野茂英雄氏の野球殿堂入りが発表された。僕は野茂氏の事をとても尊敬している。野球殿堂入りしようがしまいがその気持ちは変わらないが、やはり自分の尊敬している人が賞をもらうことは率直に嬉しいと思う。野茂氏は日米のプロ野球を変えた開拓者なのだ。

野茂氏はドラフト候補の時点ですでに有名人だった。ソウルオリンピックの銀メダル獲得の立役者で、その年のドラフト会議での一番の注目選手だった。12球団どこでもOKといっていたこともあり、当時では史上最多の8球団からドラフト一位指名を受けた。見事抽選をかちとった近鉄(現オリックスバッファローズ)が交渉権を獲得し、野茂氏は近鉄に入団した。

トルネード投法と呼ばれたその独特のフォームは、少年時代の僕たちを熱中させた。だれもが彼の投げ方をまねしようとした。当時ロッテの監督だった金田氏が「野茂なんて大したことない、速球とフォークだけだ」と言ったとされているが、伝説の400勝投手に僻まれるばかりか、速球とフォークは認めざるを得ないということからして、逆に彼の凄さを示す賞賛として僕らに受け止められたのだった。

近鉄当時の野茂選手は球界を代表する投手であったことは間違いなかったが、成績がほかの選手より圧倒的に優れていたかというとそうではなかった。だから彼が近鉄をやめ、メジャーリーグに行くと決めた時は無茶だと思った。当時、日本人でメジャーリーグで活躍できた例はただの一度もなかったのだ。全ての成績において球界でダントツトップの選手でさえ、メジャーリーグでの活躍は無理だと思っていた。

球団との確執があったとされているが、僕は彼はおとなしく近鉄で居るべきだと思った。結局、あらゆる反対意見を押し切って近鉄をやめたときは、とても残念に思った。年俸1億4000万円だったのが1千万円弱になったそうだ。メジャーリーグで成功できずに、いずれ彼の名前は忘れ去られることになるだろう。そのときの僕はそう思った。僕だけでなく多くの人がそう思っていた。日本人がメジャーリーグで活躍なんてできるわけないのだ。

今振り返ると、前例がないというだけで失敗すると予想した自分が恥ずかしい。彼は一年目から大活躍した。引退までにノーヒットノーランを2度も達成した。彼はメジャーリーグでも超一流の投手だったのだ。それを皮切りに日本でもメジャーリーグが放映されるようになった。ほかの日本人選手もメジャーを目指すことができるようになったのは、彼の成功を目の当たりにしたことと、メジャーリーグ球団も日本に対してマーケットを拡大できると判断できるようになったからだろう。野茂選手は本当の開拓者だったのだ。

今でこそメジャーを目指す日本人選手は少なくない。でも、今まで前例もなく、年俸も極端に下がり、周りからの反対が強かったとしたら、彼らには同じような判断をすることができただろうか。僕を含めた安直な人々の雑音に惑わされず、自分の実力を自ら証明した野茂氏は本当にかっこいいと思う。僕は野茂氏を本当に尊敬しているのだ。